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それは私がいつもの様に買い物に行ったスーパーのセールワゴンの中にあった。
私はそれを見つけた時、ちょっと汚れが気になるものの、色と形がとても惹かれたものだ。 それは淡い桃色が美しい、透かしの桜の模様の湯飲みだった。 しかし惜しいかな、一客しかない。 そこで馴染みの店員に訪ねた。 「ちょっと、この湯飲みひとつしか無いの?でもって、いくら?」 「あら大場さん。その湯飲み?あらいいわねぇ。でもそんなのあったっけ?バーコードもついていないし…値段聞いてくるわね。ちょっと待っててね。」 少し待たされて、その店員は戻ってきた。 「ごめんなさいね、大場さん。それは一客しかないし、値段も判らないのよ。でももし買って頂けるなら、店長が70円にするって言ってるけど、どう?」 「あら、70円?それは悪いわねぇ〜。では貰うわね。」 とても気に入ったし、安いに越したものはない。 それに自分専用にすればよい。内側の汚れは漂白剤に浸ければ綺麗になるだろう。 私は湯飲みを受けとると、70円と値札を付けてもらい、カゴの中にほおりこんだ。 いつもの、いつもの買い物光景だった。 なのに何故こんな羽目に陥るのだろう? 私は他の買い物を済ませると、早速家に戻り シンクに水をはり、漂白剤を入れると無造作に湯飲みを中に浸けて、 買い物した食材を冷蔵庫に入れる為、忙しく働いていた。 ふと違和感に気が付いた。 シンクから変な音が聞こえる。 例えて言うなら、水の中にドライアイス大量に入れちゃいました状態。 しかし、中に入れているのは大量のドライアイスではなく、湯飲みがひとつである。 私は嫌な予感がした。 今シンクに入っているのは漂白剤。 確か漂白剤は酸性薬品では? でもって酸性薬品にアルカリ性物質が混じると毒ガスが発生するんじゃ… 私は乏しい科学的知識のもと、 戦慄を覚え恐る恐るシンクに近付こうとしたが、 そこでまたハッとする。 ひょっとして毒ガスって事は、 迂濶に吸い込んでは危ないのでは? そこで、シンクの様子を見る前にまずシンクの前の出窓を開けた。 手が届かなかったので、菜箸で恐る恐る。 窓が開いているのでちょっと安心して、 私はシンクを覗こうとしたその時である。 何か黒くて小さいものが水面から飛び出し、 急いで窓の外に落ちていった。 「ひゃあああ」 けっこうまぬけな声をあげて私はヘタリこんだ。 何しろ台所仕事をしている者にとって、 素早く動く黒い物体とはとことん相性が悪く出来ているものだ。 今窓から出ていったモノを確認するなど、悪趣味な事はしたくもない。 とりあえずシンクの水は落ち着いている。 ん、もう問題はなし。 そう一人ごちて、後ろを向いた瞬間、 …とんでもない事が再び始まった。 私を霞める程の光の洪水が突然背後で爆発したのだ、音も無く。 もう本能的に恐ろしく、振り向けやしない。 そんなびくびくして首をすくめている私の背後で、 その声はした。 「我が名は全能にして全ての精霊を統べる王、アイムス。何故カオスの封印を解きしか?」 突然変な事を聞かれると、人間反応はひとつしか取れないものだ。 すなわち、「はあっ?」と聞き返す事しか出来ゃしない。 するともう一度律儀に同じ事を問う声がした。 …と、同時に光源もグッと落ちたので、 私は勇気を出して振り向く事にした。 そこには、妙な物体が浮かんでいた。 絵本で見る様な透き通る羽根を持つ妖精が浮かんでいたのだ。 ただ、絵本と違っていたのは、それのでかさだ。 絵本ではわずか1〜2cm足らずかのように描かれているそれだが、 目の前に浮かんでいるそれは、優に2メートルはあるかも知れない。 そんなのが無理無理浮かんでいるものだから、 天井の低い家だから頭を突いてしまっている。 あまりの光景にぽっかり口を開けて凝視する私に、 それは三度同じ事を言おうとした。 さすがに後光射すその物体の言葉を遮る。 「ちょっと待ってよ!アイムスって何よ!カオスって何のこと?封印を解いたって何のことよぉっ!!」 最後の方は絶叫に近かったかも知れない。 …ヤバいわ。外に聞こえたら私が気がふれたと評判になっちゃう! 「カオスの封印を解いたのは悪意なしと判断する。」
近所への影響を考え、一人おろおろしていると妖精王アイムスとやらが超然とひとりごちる。 どうでもいいけど、頭天井に当たってますけど。 でもって、頭擦りつけているから、真っ直ぐになれずに顔傾げてますけど。 てか、妖精王だか神だか知らないけど、さすがと言うべきか… あくまで気にしていない。 …そんな妙な神々しさ。 「されど我の封印を解くなど、只人に出来うる事では無い。…そなた、勇者であるな。」 …えらい単語が出てきたものだ。『勇者』だなんてゲームやアニメじゃあるまいし。 「ちょっと待ってよ!そもそもカオスって何よ?でもって封印って何の事よ!」 アタシは思わず妖精王アイムスの言葉を遮った。 「アタシはごく普通の主婦で、勇者たらご大層なモノじゃ無いわ!
いきなり人んちの台所に出現した挙げ句に妙な事口走らないでちょうだい。そもそも封印って何の事なのよっ!」 私は近所への配慮等忘れ、もう絶叫していた。 妖精王アイムスとやらは超然とこちらを振り返り、やがて厳かに言葉をつむぐ。 「そもカオスとは、人の心に寄生し暗い念を吸い取り成長し、宿主に力を与えやがて爆発的に分裂し、また新たな宿主に寄生する悪しき思念体。」 「カオスはヒトの強き念を糧としており、それは欲望が最も適している。その為古来より欲望の強き者に取り付き、物欲、金銭欲等が叶うよう力を与えては分裂し、それを繰り返しては人の世を破滅させてきた。 そこで我はこの壷の中に亜空間を作りカオスを封じ我が聖印で閉じていたのだ。 こたび封印が解けたを知り、この次元に馳せ参じたのだ。」 ここまで話すとアイムスは私をじっと見た。 その威圧に耐えられなくなって口を開く。 「壺ったって、湯飲みだし。しかも見切り品だし。内側に付いてた汚れみたいなモンが聖印たら言うんだったら、落としたのはアタシじゃなくて、漂白剤だから!アタシの力なんかじゃないわ!」 アイムスは光っててよく見えないんだけど、表情ひとつ変えずに、言い放った。 「ヒョーハクザイが何かは分からぬが我の封印は地上の物質などでは解く事など出来ぬ。出来るとしたらこの地上で我と一番近しい力の波動を持つ勇者のみ。我も予期し得ぬ事なのだが、この次元には過去何人もの勇者が現れ、カオスを解き放ち、また封印してきた。だがそれは人の営みの中で生まれてよどんだカオスの土台とも言える気の浄化を伴っておった。 我が思うにこの次元が消化出来えぬ程に気が歪み、危うくなると一定の間を置き勇者が産まれるのであろう。 こたびはそなたが勇者として産まれたのである。そなたがヒョーハクザイの力を使って我の封印を解いたのだ。 そなたはヒョーハクザイの力と思っていても、それはそなたの力に他ならない。」 何だか訳の解らない事を言われて余りの事に呆然としていると、アイムスは続けてこう言った。 「世界を救う使命を持つ者よ、そなたの名は?」 「あ、大場優香。」 「オバ勇者か。佳き名だ。」 「!!あ、アタシは大場優香であって、勇者オバなんて言ってない!」
「勇者オバか。この世を救うものとしてなんと佳き名であろうぞ」 私は余りの言い様にもう言葉がでない。 「では勇者オバよ、そなたは勇者とは言えその力は目覚めたばかり。加えてカオスもまだ微弱な力しか放ってはおらぬ。いくらそなたが勇者とてまだカオスの気配など感応は出来まい。 そなたに我が一族一の感応力に優れしものを遣わそう。 …いでよ、ふらい。」 ふらいと呼ばれたモノはすぐに開いたシンク前の出窓から飛んで来た。 それは私のよく知るものだった。 てか、私ら主婦にとってウザイ敵に他ならない。 そう、どう見ても蝿にしか見えなかった。 私は巨大な妖精とやらに勇者にされた挙げ句、 蝿までたかるのか? もう駄目だ。 このままでは生きていけない。 そこはかと無く人生に絶望していると、どう見ても蝿はマヌケな声を出した。 「おお、あんさんが今度の勇者はんだっか。ワテは種族名ふらいというモノですねん。こう見えても妖精族の中では一番感応力に優れてますねや。これでも何人もの勇者はんに遣えた種族ですよってに、ワテも種族の一員として張り切ってますさかいにな、頑張りますよって、よろしゅうに。」 ほとんど息継ぎもしない勢いで蝿はとうとうと巻くし立てる。 でも、何で関西弁やねん… もうがっくりと突っ伏した私に、妖精王アイムスは言葉をかけて、消える気配がした。 「では勇者オバよ。この世界を救うのだ。」 …誰か私を救って下さい。 声もなくうなだれた私に、蝿はうるさく語りかける。 「なあなあ勇者はん、勇者はんて。」 「…何よ…」 もう否定する気力もなく、地の底から声を出す。 「勇者はん、どうかワテに名前付けてくれへんやろか?ワテは種族名あるんやけど、この辺のものは皆個体名あるんでっしゃろ?何やワテそれがうらやましゅうてかなんのやわ。ワテにも個体名付けてぇな、勇者はん」 「分かった。付けてやるから、アタシの事も勇者なんて呼ぶな。アタシは優香。優香と呼んで。」 「勇者?」 「だーっ!だからそう来ると話が進まないのよ。ゆ・う・か。優香と呼んでよ」 何私は蝿相手にムキになってんだか。 「ゆうか?優香やな。よっしゃ分かった。これからゆーかと呼ぶわ。ワテにも名前付けてんか?」 「アンタはハエ太郎。アタシはハエ太郎と呼ぶわ。」 どう見ても蝿としか見えない妖精とやらは私の回りをグルグル飛び回り、 「ハエ太郎か。なんや不思議な響きやけど、ごっつう気に入ったわ。よろしゅうな、ゆーか」 こうしてうっかりスーパーのワゴンセールで売られていた湯飲みの封印を解いたばかりに、 世界を救う勇者にされてしまった一平凡な主婦と蝿の物語は幕を開けてしまった。 おばちゃんとハエの冒険は今始まったばかり!! (打ち切りじゃないよ、まだ続くよ?) |