十二国記SS

咆哮

文州城を無事出立した時には、
自分達を護衛してくれる州師がいた。
思えばたった一人しか最初はいなかったこの旅路を思うと、
李斎は胸が熱くなる。
傍らには、あれ程こがれた泰麒がいる。
この泰を何としても守らねば…

「それにしてもまた景王に助けて頂きましたね。」
泰麒が苦笑するのを聞いて、
李斎は我にかえった。
あの日、慶国金波宮を出立したのはまだ夜中だった。
時間よりもあれ程大恩ある慶女王に何も告げずに
出立せねばならないことが辛かった。
しかし黙って出ようとした二人を見送ってくれる人々がいた。
その中に延麒がいた。延麒がくれた旅券に自分達は救われたという事だった。

慶を出て最初に向かったのは、
僅かな手掛りを求めて文州だった。
州城までは雲海の上を行くので危険はない。
だが、州城を目前にして、
空行師が出てきた。
申し開きなどする隙もなく、
二人は捕縛された。

泰麒と李斎はまず州候に引き合わされた。
文州の州候は、阿選の手のものかも知れない。
それなら自分たちはここでかなり困難に陥ったと言う事だ。


「さて、李斎どの。貴女は確か大逆の疑いのある、
謀反人でしたな。・・・で、こちらは?」
幸いにも、州候は自分達の言い分を聞いてくれるおつもりらしい。
「自分の申し開きは後で致しとうございます。州候殿。
まずこちらは台輔でございますれば。
我は慶国に参じ、台輔が流されし蓬莱より、
台輔にご帰還願いましてございます。」
「・・・戯言を」
州宰が吐き捨てる様に言った。
「台輔であらせられるなら、身の証を立てて頂かねば、
信じるに足らず。
何しろ当国の台輔は他国と違いますのでな」
他国の台輔ならば、髪を見ただけで素性が判る。
何しろこの世界に金の髪を持つものなど、
麒麟の他ありえない。
しかし泰の麒麟は黒麒であるが故に、
見た目はただの黒髪の少年に過ぎない。
以前の台輔を見知った者ですら、
流れた6年の歳月で変化した台輔を判るものなどいるだろうか?
その証とは、よりによって台輔に転変して見せよと
言っているのだった。
「無礼な。台輔に対し、なんと言う口の聞き様か。」
李斎が気色ばむと、
泰麒はやんわりとそれを押し留めた。

「州候、州宰に申し上げます。
私はここにいる李斎の働きと
諸国の大いなるご好意によって蓬莱より、
帰還する事が出来ました。
今はあなたたちを信用させる手立てなど何一つありませんが、
私たちを黙ってこの州にある函養山に向かわせては頂けないでしょうか?
主上をお探し申し上げたいのです。」
「それを信じるには、身の証を立てて頂かないと。
それが叶わぬのなら、失礼ながら一旦捕縛させて頂いて、
朝議を至急開き決定せねばなりません。
それはご理解頂けますでしょうか?」
「仕方ありませんね。では、行きましょう、李斎」
「ですがっ・・・!!」
「本当にすまない事をしました、李斎。
せめて私が普通の麒麟であれば、見た目で判るものを・・・」
そう言ってふわっと、泰麒は微笑した。

持ってきた荷物を州師に預けると、
促されるまま、執務室を出ようとした時だった。
「お待ち下さい!!」
背後でうろたえた様な州候に声をかけられて、
泰麒と李斎は振り返った。
州候は、手に旅券を持っている。
「お待ちを・・・この旅券を何処で手に入れられましたか?」
「慶を出立した折、延台輔にお預かり申し上げたものでございます。」
李斎がそう答えると、
州候は、まず旅券を傍らの州宰に渡すと、
膝を折った。
「大変失礼を致したようで申し訳ございません、台輔。」
州宰は呆然と旅券の裏を見詰めている。
そこには、こう書かれてあった。

「慶東国国主 中嶋陽子」

御名御璽・・・それは大変なものだった。
何故ならそれを持つものは、その国の王に絶大的な信頼のある者、
そしてその証だった。
そして、肝を潰したらしい州宰から
恭しく旅券を受け取ると、
苦笑を洩らし、泰麒は傍らの李斎にそれを渡した。
李斎はその裏を確かめ、
有難さにその場で落涙してしまった。
あの王は、はるか離れた泰の地でも、
我らを案じて下さっている。そして守ろうとなさって下さる。
この優しい王の恩義に報いる為にも、
驍宗様をお救い申し上げねば。
国が落ち着いたら何をおいても御礼に向かわねばならない。

「御璽が下されたならば、
お二人のご身分は景王に保障して頂いたも同じ事。
お二人の言い分をお認め致しましょう。」
そう州候は言ってくれ、せめて安全に
函養山に向かえる様にとこの様に州師までお貸し下された。

「まさか旅券の裏書を中嶋さんがしてくれたとは、
思いも寄らなかったな。」
「御意」
もったいなくて頂いた旅券は、そのまま懐に押し頂いていたが、
まさか御名御璽であったとは・・・
その景王の気持ちを考えると、
また李斎は泣きそうになって、強引に顔を上に上げた。
「・・・!!」
李斎が見上げた先に、妖魔が群れなしていた。

     *

そのものは空腹を覚えた。
黄海で狩りをするのも容易いが、
ふと東に向かってみようと思い立った。
東の果てには、泰と言う国がある。
そこには彼の餌となる妖魔が
今一番跋扈する国であった。
それに何だか東の果てで、自分を待っているものがいる。
そんな気がして、傲濫は東の泰の国にいでたつ。
      *

妖魔の群れに囲まれた一行は、苦戦していた。
何しろ、きりが無い程群れはいる。
空が一面暗くなる程の群れであった。
州師の犠牲は、一人、また一人と増えていく。
李斎は泰麒を連れて逃げるので精一杯で、
なす術も無い。
何故この様に妖魔が集まるのか?
泰麒は、以前幼い頃景麒に言われた事を思い出した。

「泰麒、妖魔は麒麟を食べます。麒麟を食べて、自分の力を増す種族なのです」
ならばこの妖魔たちの狙いは自分。
泰麒に力があれば、
指令に下さずとも、妖魔の動きを止める事など容易い。
あるいは転変し、麒麟になれば、
自分に追いつくものなどいない筈だ。
自分が囮になれば、
みすみす州師や李斎を危険に晒さずに済む。
・・・今の自分は、あまりにも無力だ。
「麒麟」とは名ばかりの何の力も持たない、
自分すら守れない、さらに周囲に災厄を撒き散らす者だ。
いや今の自分そのものが災厄かも知れない。

一人、一人と州師がやられ、
とうとう李斎と泰麒のみになった。
李斎は最後の手段で泰麒に覆いかぶさる。
もしかしたら、自分がやられている間に助けが入るかも知れない。
・・・誰か・・・泰麒をお救い下さい・・・

泰麒は、自分の上に李斎の重みを感じた。
この忠義者は、身を犠牲にしても、
自分を守ろうとしてくれている。
泰麒は、力を願った。
自分は常に守られていた。
幼い頃は蓬莱で母に守られ、
逢山では女仙に守られ、
今一度行った蓬莱で今度は女怪と指令に守られた。
そんな無力な自分が哀しい。
無力であると嘆く自分が情けなくて、
この戴に戻ってきたのに、最後まで誰かに守られるのが情けなかった。
何より、王に会いたい。
焦がれるほど王に会いたい。
王に会える前に死にたくはない。
王に・・・
王に会いたい。
王に会えるほどの力が欲しい。
自分を王と引き離すものを打ち砕くほどの力が欲しい。
自分と王は離れてはならないものだ。

今こそ力を願った。
焼け付くほど、力を願った。
泰麒のその思いが、奇跡を呼んだ。

「・・・うっ!!」
泰麒は溜まらず叫んだ。
額が割れるように一瞬痛んだ。
すると、欠けていた自らの一部が、
全き姿で戻って来たような気がした。
そこから大地の気脈が流れ込んでくる。
天から力が流れ込んでくる。

泰麒の欠けた角が再生した瞬間だった。
その激しい気の発動に上に乗った李斎が弾き飛ばされた。
地面にしたたか腰を打ちつけ、痛みに息を飲んだ李斎の目の前で
不思議な光景が映しだされた。

それは、不思議な光景だった。
上空を黒く染め上げた妖魔の群れの中央が
丸く切り取られ、そこに大きな点が降下してきている。

    *

その頃傲濫は激しい胸騒ぎに襲われていた。
自分が待っていた者が、ここにいる。
自分の助けを必要としている。
我を呼べ。・・・我が主よ・・・!!
そう思った時、傲濫に掛けられた全てのくびきが解かれ、
北に金の柱が立つのを見た。
あれこそが我が主が放つ光輝。
泰麒よ、我が名を呼べ。
我は傲濫。泰麒と契約を結びし者。

    *

泰麒は、角の再生を知った。
天と地の気脈が今自分に注がれているのが判る。
今こそ力を願った。
ここに来い、傲濫!!

     *

李斎は不思議な光景を見た。
天の一部を丸く切り取って一見天犬の様なものが、
どんどんこちらに降下してくる。
その赤い大きな力強い姿に、見とれていると、
赤い獣が咆哮する。
咆哮で何千何万といた妖魔が全て殲滅するのを
呆然と見守っていた。
その李斎にそっと手を貸すものが突然現れた。
その白い手、白い体。
あまり度々は見ないが、そのものに見覚えがあった。
その名を汕子と言い、泰麒の女怪であった。
やがて赤い大きな獣が飛来し、
泰麒の傍らで首を下げた。

そこまで来ると、李斎にもこの獣の正体がわかった。
あの日西王母に引き剥がされた泰麒の指令で、傲濫だろう。
だが、改めて傲濫の持つ力に戦慄した。
咆哮ひとつで何万もの妖魔を殲滅できるもの、
それが饕餮であった。

「止めて、傲濫。泰麒は身体が元に戻ったばかり。
何万もの妖魔の穢れは泰麒のお体に障る」
李斎は溜まらず声を上げたが、
泰麒が傲濫の首筋をなでる。
あまりの事に息を飲む李斎に、
「何故か判らないけど、平気なんだ。」と言って泰麒は笑った。

高位の神に直接穢れを浄化された傲濫・汕子は、
今ではどんな穢れをも受け付けない身体に変化していた。
その事を未だ彼らは知らない。

全き姿になった泰麒と、李斎は函養山に向かう。
・・・そこに、王がいる・・・
王気が見える。喜びに打ち震える心を静め、
泰麒は旅を再開した。
明けない夜はない。
この国の目覚めは、もうすぐそこに来ていた。

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